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宮古・その時と現状 #iwate #prayforjapan

 mixiで宮古・田老の祖母の安否を呼び掛けていました。
まだ直接の連絡はついていませんが、何人の方からメッセージをいただき、幸い祖母が入所している老人ホームが避難所になっているらしいとう情報を得ています。
その中のお一人に、宮古在住で被災された方がいらっしゃいました。
大変な状況の中から、わざわざ祖母の情報を下さり、感謝の気持ちでいっぱいで、何とお礼を言ったらいいかわからない程です。

その方がmixi内の日記で、311当日のことと、現在の避難所の様子を明らかにされていました。
多少の土地勘のある私は相当な衝撃を受けました。

現在も、被災地では、まだまだ大変な状況は続いています。
どんな新聞記事よりも、リアルなその惨状を一人でも多くの人に知っていただきたく、私のブログへの転載を申し出たところ、ご承諾いただきました。
心より感謝いたします。


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3/11 記録  2011年03月13日16:20  
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避難準備を整えて、子どもたちと避難場所に向かいました。津波到達予想が遅かったので、いつも避難する避難所ではなく、遠いけど高い避難所に逃げようとい うことになりました。
避難している時に、「ドン」と大きな揺れが一回ありました。後から知ったのですが、地震かと思ったら、それが津波の第一波 だったみたいです。私たちの避難していたところとは少しずれた岩壁に当たり、野球場を飲み込んだ、と聞きました。
昭和の大津波より高い位置には行 かないだろうと、保育所の皆はその時浸水しなかった中学校の校庭で待機していました。もちろん着の身着のまま、サンダルでした。

校庭につ いて、おさまってから保育所に戻って荷物をとってこよう、と話していたら遠くに突然音もなく白い砂ぼこりが上がりました。何かと思ったら誰かが「津波だ」 と叫びました。
一瞬で血の気が引きました。「走るよ」と子どもたちの手を引いて、高いところに避難するために、サンダルで山の斜面を登りました。 子どもたちはパジャマにうちばきでした。整備された避難路もあったけれど、そこまでは距離があり、向かっていたら間に合わなかった。もし避難所の建物の中 にいたら靴を履く間に波にのまれていた。また、後から確認したら、いつも行っている避難所は波に飲まれてえぐれていました。そこにいても間に合わなかっ た。

山の斜面から見えたのは、校庭まで上がる波と、校庭にお年寄りを避難させるために停まっていた救急車が引き波にさらわれている姿でし た。
本当に危機一髪でした。
本来なら避難場所である、中学校や公民館も浸水し、避難所となったお寺は門の前まで津波で押し上げられた瓦礫 や車が積み重なっていました。夜中に何回も警報がなり、その度に裏のお墓に避難し、ました。
けど、二次災害の火事が広がって、寺の山に火が迫っ ているとのことで、三陸鉄道の線路を伝って、もっと北の波の来ていないところまで1時間かけて子どもたちと歩き、避難しました。自分達の身内の心配をしな がら、子どもたちの親の安否確認をし、いつ帰れるかも余震も分からない中で二日目の出来事でした。
三日目は炊き出しの手伝いをしてから、知り合 いの車に乗せられて宮古に帰ってきました。

これから準備を整えて、また田老に戻ります。田老は電波が悪く、連絡がつきにくいと思います。

岩手県、また宮城県では大変な被害が起きています。 高速が封鎖され物資が不足、復興にもかなりの

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この出来事を忘れず発信してほしいです。知る人が多いことで、自分が何ができるかを考えてくれる人が増えれば、力になります。メッセージを発信するだけで もかまいません。避難している人たちが、電波が復旧してそのメッセージを見たとき、励まされます。



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一週間と二日。※長文、シビアな話も書いてあるので、読みたくない方は引き返して下さい。   2011年03月20日09:54
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「形があるだけいい」そんな言葉が聞こえてくる、一週間と二日。

道が拓け、給水車が来て、仮設お風呂、トイレが届き。公衆電話もできまし た。

油や食料などの物資が続々と集まっています。

一週間前からは考えられないこと。

北高は恵まれた方だ と思います。計画停電や節物資に協力してくださっている、皆様に感謝します。

段々と見えてくる現実。生きることに必死だった人たちが目 の当たりにせざるを得ない現場。

田老は人口の半分(2000人)が行方不明だとも言われています。

見つかった仏様は、水 でふくれて、身元判別が難しいと聞きました。性別や年齢さえ、分からない。車の中や、家の中で見つかれば、まだいい方で、流された場所と、服装から、確認 するしかないのだと。

見つかっても、腐敗が進みやすくなっていて、火葬も間に合わない、と。

見つかればまだいい方だ。 という話も聞きます。

第一体育館が安置所なので、生と死が隣り合わせの場所。そのすぐ隣のグラウンドでは、子どもたちが無邪気に遊んでい ます。

本当の悲しみとの戦いは、これからなのかもしれない。

自分は被災したけど生きていて、家も無事で両親親戚友達も無 事で。だから、凹んでなんていられない。

一人でも多くの人に支援を。この震災を乗り越えるパワーを与えたい。「ありがとう」といわれるこ となんて何一つできない。

けと、みんなの声が届いているから。私に勇気と元気をくれるから。ありがとう、支えられています。

北 高の避難所は25日まで。その後の予定は未定だけれど。

今日もまた田老に向かいます。

いってきます。


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この記事を読まれた方、
お一人お一人が危機感を持って、力を合わせ、今できることを考えていただきたい。
心に受け止めていただけるよう、切にお願い申し上げます。








at 16:30, ヨコマ キミヨ, 岩手・復興支援

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